万葉の里国府をたずねて

国府町には、国指定史跡の梶山古墳、伊福部徳足比売の墓跡、安徳天皇御陵参考地に指定されている岡益の石堂など古代遺跡が集中し、奈良、平安時代には因幡国庁が置かれて政冶、経済、文化の中心として栄えたところです。国府を散策するには、初めに「万葉歴史館」で国府町の全体像を見学し、現地に足を運ぶのが最適とおもいます。
まず最初は国庁跡です。国庁跡は、大和三山(耳成・畝傍・天香具山)になぞらえ因幡三山と呼ばれる甑山、今木山、面影山の山々が鼎立する、見晴の良い田園風景の中に佇んでいます。


万葉歴史館

時の塔から撮影

時の塔(高さ30m)

のどかな国府の田園風景

面影山

今木山

甑(こしき)山

因幡国庁推定復元図
因幡の国府は、山陰道六ヶ国でも上国にランク付けされていたこともあり、任命される国守は当時の著名な人たちです。

 


正殿の柱跡

南門跡

後殿跡より南門跡方向を見る

奈良時代では、万葉集の編者・大伴家持、平安時代には稲葉山を詠み小倉百人一首で有名な在原行平、鎌倉時代ともなれば、幕府を代表する大江広元等です。大伴家持が天平宝字3年正月1日に新年祝賀の宴に詠んだ詩「新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家余騰」(あらたしきとしのはじめのはつはるのきようふるゆきのいやしげよごと)
在原行平の歌(古今和歌集)「立ちわかれ、いなばの山の峰に生ふる松としきかば今帰りこむ」
また天平13年(741)に、聖武天皇の勅願により因幡国分寺が創建されました、、今の国分寺集落がその寺跡です。


国府町庁部落に建つ大伴家持の歌碑

稲葉山をバックに建つ在原行平の歌碑

現在の国分寺集落

国分寺の礎石
当時二丁四方の寺域には五重の塔をはじめ七堂伽藍が軒を連ねていたが時代とともに廃れ、礎石数個を最勝山国分寺境内に保存するのみになった。つづきについては今後書き加えていきますのでご期待下さい。

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