荒木又右衛門を偲ぶ終焉の地

伊賀上野の鍵屋の辻の決闘で有名な「荒木又右衛門」の終焉は、ここ鳥取の地です。
1630年 岡山城主池田忠雄に嫡男(光仲)誕生。 城下でお祝いのお祭り騒ぎ。
その城下で忠雄の小姓、渡辺源太夫(数馬の弟)が河合又五郎に斬り殺される事件が発生。河合又五郎は旗本安藤家に逃げ込む。池田家は、安藤家に犯人の引き渡し交渉をするが、難航。幕府に仲裁を申し出る。いつまでたっても煮え切らない幕府に忠雄立腹。登城せず。(外様VS旗本・幕府に発展)1632年 忠雄死去。家臣に遺いた遺言とは?「岡山を召し上げられようと、この件は解決すべし」


玄忠寺(鳥取市新品冶町)に眠る・荒木又右衛門

玄忠寺(鳥取市新品冶町)に眠る・荒木又右衛門

渡辺数馬の墓(興禅寺内)

幕府仲裁の結果 安藤家に対しては100日の寺詰め、又五郎は江戸処払い
池田家に対しては減石せずに、岡山→因伯へお国替え(藩主光仲が幼少のため、重要な岡山は光政に任せよう)1634年 旗本の働き賭けにより、又五郎、水戸藩に仕官決まる。大和郡山から伊勢より海路水戸へ伊賀上野は又右衛門の故郷。地理に詳しいココなら待ち伏せできる。(チャ~ンス)荒木神社と又右衛門使用の手水鉢(鳥取市元町・市の中心の若桜橋たもと)
決闘4年後、又右衛門・数馬他は鳥取に迎え入れられて、鳥取にお国入り。が・・・たった二週間であの世へ旅立ってしまった。屋敷跡に荒木神社が建立されました。


又右衛門の家来・岩本孫右衛門の墓(光明寺内)

見どころ

内容
荒木又右衛門の終焉後めぐり

玄忠寺(又右衛門の墓・遺品館)

荒木神社(荒木家の屋敷跡・手水鉢)

光明寺(孫右衛門の墓)

興禅寺(数馬の墓)
 
自家用車で回る場合
玄忠寺は専用駐車場あり・荒木神社は駐車場がないので若桜橋横袋川沿いの有料駐車場・・光明寺はお寺の駐車場がありますが墓参りなどの方用です、注意して使用・・興禅寺は境内に空きがあれば使用できます。
 
徒歩で回る場合


玄忠寺  約20分

荒木神社 約20分

光明寺  約10分

興禅寺  約10分
 
※ガイドのご希望がございましたらご連絡ください、ご案内いたします。
NPO法人とっとり観光ガイドセンター TEL:0857-22-4878 ガイド料金 2,000円/1人
所要時間   車の場合 約2時間分    徒歩の場合  約3時間

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