ここのところ山陰では珍しくお天気が良いので羽衣石城に行ってみた(12月6日)
吉川経家(鳥取の飢え殺し)を語るには南条の守っていた羽衣石城が欠かせない。
南条家は元毛利軍の傘下であったが天正8年、織田軍に寝返って因幡の防衛ラインとなる
毛利へ食料の調達を要望した経家、それを阻んだ南条羽衣石城の地形、眺望など
やはり現地を見ないとその時代にタイムスリップできない。
登城路右側のコースを登ると曲輪跡らしきもの、加えて石垣らしきものが所々残っている。
山頂に登るにつれ巨大な岩が私たちを圧倒する天然の要害だ。
この山も天女の羽衣伝説があり、ここからは倉吉平野及び雪をかぶった大山や隠岐の島まで見える。
そして日本海を行き来する船も良く見える。
なので毛利が食料を陸上及び海上輸送できなかったのも納得できた。