鳥取城兵糧攻め(秀吉の野望と挫折&経家の苦悩) 太閤ヶ平と鳥取城をめぐり、秀吉と経家の心を探るツアー

歴史ロマンとトレッキングを楽しむ
三大兵糧攻めのひとつ中世鳥取城久松山


  1. 見どころ
  2. ツアー内容
  3. 注意事項

「経家の苦悩」
遥か西方まで見渡せる久松山山頂で兵糧の届くのを日々期待しながら眺めていた経家の心のうちの絶望感やいかに・・・
「秀吉の野望と挫折」
太閤ヶ平は信長公の本陣として構築された曲輪(信長公のための天守が建てられていたとの考察があり)
秀吉は鳥取城攻めを毛利対織田の決戦場に仕掛けたい思いがあったが結果は鳥取城の攻防だけの戦いになり・・・
秀吉の中国征討
天正9年(1581年)、久松山一帯で悲惨な戦いがありました。俗に言う「鳥取の渇殺し」です。
当時、因幡地域は織田軍対毛利軍の最前線でした。織田軍総大将は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)、対する毛利軍武将、吉川経家。久松山に鳥取の兵士、毛利の兵士合わせて1500名とも2000名とも言われる兵士が立て籠もり、羽柴軍は2万~3万の兵で久松山を完全に包囲しました。経家軍は食糧が乏しく、毛利軍に食糧救援を要請しますが秀吉の包囲網に毛利軍は港を封鎖され海から入港できず、街道も押さえられて進軍もできないでいました。
立て籠もった吉川軍は食糧支援も無く、米・味噌を食いつくし、馬を食べ、草木を食べ、食料も無くなっていきました。バタバタと倒れる兵士たち・・・残る食糧とは・・・あまりにも惨い。
経家「この腹一つで家臣の命を助けていただけるなら、城をお渡ししましょう」
結局、経家と家老以下数名の切腹にて鳥取城は秀吉の手に落ちました(天正9年10月25日)。
籠城すること約4か月。経家35歳でした。この戦いの時に秀吉が本陣を置いた所が、太閤ヶ平です。

「見どころ・久松山の眺望のすばらしさ」
・因幡一円の眺望は秀吉軍の鳥取城周辺の厳重な陣営及び西方遥かの日本海の見晴らしの中、わずかな
期待の毛利軍の兵糧と眼下に広がる秀吉軍の包囲網の中で苦しむ経家の心

「見どころ・太閤ヶ平の大規模な陣城」
太閤ヶ平の陣城はお館様(信長公)を迎え入れるために造られた曲輪で有名な城郭考古学者の先生が信長公のための天主が建てられていたと発表され注目が高まった陣城です。

「見どころ・久松山山頂から太閤ヶ平までに広がる曲輪群」
大規模な竪堀群及び山麓に広がる曲輪群

集合場所:吉川経家銅像前(開催時間の10分前に集合)
開催時間:午前9時30分~午後3時
所要時間:約5時間30分」
催行時期: 11月16日~4月15日(ただし12月26日~1月10日までは休み)
参加人数:2名以上〜10名まで(要予約)
参加条件:2名様以上での申込みになります
参加年齢:中学生以上
参加料 :8,000円/1名

「コース概要」
久松公園前(吉川経家像前)➡中坂➡山上の丸(本丸・二の丸・三の丸)➡十神砦➡秀吉軍包囲網砦群➡秀吉本陣跡(太閤ヶ平)➡樗渓公園➡久松公園前(吉川経家像前)

  • ご予約はお早めに申し込みください。(予約状況によってはお受けできない場合がございます)
  • ご予約はFAX・メール・TELでお願いします(TEL受付時間:10:00~16:00)
  • 参加料金は当日現金にてお支払いください。
  • 予約後、急にご都合が悪くなったときは早めにご連絡ください。
  • 当日天候不良の場合(荒天及び積雪など)は中止になります、ご了承ください。
  • 登山靴・帽子・タイル・飲み物・雨具・弁当などご持参ください。
  • 鳥取城跡は高低差がある為、脚力に自信のある方の参加に限ります。

 

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