若桜鬼ヶ城の歴史は、正治2年(1200年)駿河の国より入国した矢部家より始まると伝えられている。城の築かれた鶴尾山(つるのおやま・標高452m)は播磨・但馬・美作の各街道の結節点に位置していたため、戦国期は尼子・毛利・織田など有力大名がこの地をめぐり、激しい攻防が繰り広げられました。
小城跡の曲輪に建つ東屋
東屋から見渡す若桜宿
登山道(若桜公民館裏の登山道より山上ノ丸まで約40分前後)
その後、元和3年(1617年)播磨の国より池田光政が因幡・伯耆の城主として、32万石で入国すると鬼ヶ城は一国一城令によって破却されました。
山上の大手門の参道
大手門内枡形虎口(破却がひどい)
二ノ丸より三の丸を見る(中央が二ノ丸の虎口)
本丸から天守台を見る(奥・石垣上が天守台)
天守台下の帯曲輪の石垣
搦手虎口方向より本丸石垣を見る
三の丸より若桜宿を眺望
本丸より但馬・播磨街道を見下ろす
山上の東側は特に破却がひどいです(当時街道より立派な石垣が見えるためでしょう)。山上の西側は裏側になるため破却が東側ほどいどくなく、当時の石垣が残り、時代が偲ばれる。